寒い冬の朝早くに鳴った電話はここ最近図書館に通い詰めで 夜更かし気味の敏夫の目を覚ますにはちょうどよかった。 「はい?」 敏夫の不機嫌な声を遮って聞こえてきたのは耳慣れない非日常的な台詞だった。 相手は敏夫にこう告げた。 静信が自殺を図ったのだと。 敏夫は絶句して電話を切った。 しかし敏夫は心の中でやっぱりと呟く。 敏夫は知っていたのだ。 静信の心に巣食う大きな闇の存在を。 その日は、冬の空らしくどんよりとした灰色の雲が重た圧し掛かっていた。 吐く息は白かったが不思議と寒さは感じなかった。 「すみません」 敏夫が寺の奥へと呼び掛けると真っ青な顔をした美和子が出迎えてくれた。 「お見舞いに来てくれたのね…ありがとう。静信なら奥にいるわ」 美和子に案内され、静かに開けた襖の向こうに静信は横たわっていた。 「静信…」 敏夫が近付いて顔を見ると静信は鎮静剤を打たれて静かに眠っていた。 「また…何かあるといけないから尾崎の先生に打って頂いたの」 「父に…診せたんですか」 嫉妬のような感情が胸を突く。 父親も美和子も…いや、誰も静信のことを分かっていないと敏夫は思った。 静信は気がふれて自殺を図ったのではない。 彼の中の闇がそうさせたのだ。 闇が静信を捕らえて離さない。 いつか深い闇が静信を自分から奪ってしまうのではないかと敏夫は思わずにはいられなかった。 「しばらくここに居てもいいですか?」 敏夫の問いに美和子は一瞬心配そうな顔はしたものの、こくりと頷いて部屋から出て行った。 静かな寝息が聞こえる。 あぁ、静信は生きているのだと実感できた。 敏夫は静信の枕元に座り、その寝顔を見詰めた。 愛おしい。 身体中から感情が溢れ出るようだった。 敏夫はいつものように静信の頬を手の甲で触れた。 柔らかく温かみのある感触が伝わってくる。 敏夫は頬に手を触れたままゆっくりと口付けた。 「静信、俺を置いて行かないでくれ」 敏夫は静信へ縋るように呟いた。 「敏夫…」 敏夫がゆっくりと目を開けるとそこにはいつもより弱々しく微笑んだ静信の顔があった。 敏夫はいつの間にか寝てしまった様子で肩には毛布が掛けられていた。 「静信!もう平気なのか?」 いきなり大声を上げた敏夫に驚いたのか静信は目を数回瞬かせた。 「傷自体は酷くないらしいんだ。傷痕は残るみたいだけど。 今は血を流しすぎて少しふらつくかな…」 静信は包帯の巻かれた左手首を摩りながら答える。 「そうか」 敏夫は俯いて静信から視線を外す。 「聞かないのか?」 「何を?」 一応は聞き返したが、その問いは決まっている。 「自殺の理由。」 敏夫は俯いたまま答えない。 「皆に揃って聞かれたからね。敏夫にも聞かれるのが当然だと思ってた」 そう言って静信は苦笑した。 「おれはお前が生きていればそれでいい」 敏夫は顔を上げて真っ直ぐに静信を見詰める。 「敏夫…」 静信は敏夫の胸に額を埋めると大きく息を付いた。 理由を問わない敏夫に安堵を覚えたのだろう。 「死ぬのは怖くなかったんだ…あの時は何も感じなかったし何も思わなかった」 懺悔のように呟く静信の言葉を敏夫はただ黙って聞いていた。 「でも今は少し怖いかもしれない」 静かに敏夫は尋ねた。 「何故?」 静信は目を伏せて少し沈黙したが小さな声で答えた。 「敏夫が傍にいるからかな」 静信はまるで子供のように目を潤ませて敏夫を見上げる。 敏夫は静信が今にも泣き出すのではないかと思った。 「静信、お前…」 しかし次の瞬間静信は敏夫の唇に深く口付けて言葉を遮った。 敏夫は突然のことで無防備にそれを受け入れた。 そういえば静信の泣く姿なんて見たことがなかったなと敏夫は心の中で苦笑する。 そして静信の腰に手を回すと自分の方へと身を引き寄せた。 静信の体温が、息遣いが、直に感じられる。 久しぶりの感覚に鼓動が高鳴っているのがわかった。 しかし敏夫はこれ以上静信に無理をさせてはいけないと唇を離した。 「今日はもう…」 敏夫は目を逸らすが静信は敏夫の胸に縋って離れようとはしない。 「父も母も檀家に行ってる」 「駄目だ」 静信はまるで敏夫の声が聞こえていないかのように言葉を続ける。 「夕方まで帰らない」 縋り付いた手が少し震えていた。 敏夫には静信が自分自身の闇を恐れているように見えた。 「静信…」 唯、頭を真っ白にしたいのだと静信は言った。 今は何も考えたくないのだと。 敏夫も同じ気持ちだった。 敏夫の手が滑り込む様に直接静信の肌に触れた。 「敏夫の手、冷たいな」 静信は少し苦笑する。 敏夫が静信自身に触れるとそれは熱を持って少し固くなった。 「先が濡れてるぞ…静信。そんなに触ってほしかったのか?」 静信は躊躇いがちに頷いた。 「可愛いな…」 敏夫は微笑して静信の首筋にキスの跡を付けていく。 静信は恥ずかしそうに包帯が巻かれた腕で顔を隠した。 「はぁ…っ…敏夫…」 敏夫が静信の中に指を潜り込ませると静信の息遣いが荒くなった。 「あぁ…!…んん…」 いつもより喘いで乱れる静信を見ていると敏夫自身も興奮して熱くなる。 静信はそれを見透かしたように 「ねぇ…敏夫の…触ってもいいかな…?」 と囁いた。 敏夫が頷くと静信はゆっくりと敏夫のそれに触れた。 「固いね…ぼくの中に入りたい?」 「あぁ…入りたくてたまらない」 敏夫は正直に答える。その真剣な眼差しに静信は小さく笑った。 「いいよ、もう…入れても」 目を伏せて恥ずかしそうに呟く静信にぞくりとそそる気持ちにさせられる。 「我慢することないからな。傷が痛んだらすぐ言えよ」 「分かってる」 そう言って静信は敏夫の首に手を回す。 「んっ…!あぁっ!」 ゆっくりと挿入された敏夫のそれに静信は感じるまま声を上げる。 「ふぁ…っ!くぅ…敏夫…っ」 包帯の巻かれた手が敏夫の頬に触れた。 敏夫はその手に自分の手を優しく重ねる。 今の静信にこんな行いを強いている姿を美和子や信明に見られたりしたら 二人は卒倒するのではないだろうかと敏夫は思った。 敏夫自身も例え静信が望んだこととはいえ、この行為が至極酷いことだと分かっていた。 「ぼくを…抱いたこと、後悔してる顔に見える」 静信に指摘され敏夫は目を伏せた。 「すまん…」 「ぼくを憐れんで抱いた?死に損なって可哀相だと思って…?」 敏夫は首を振る。 「静信が好きだから抱いた。…好きなんだ…」 静信は包み込むように敏夫を抱きしめた。 「ぼくも敏夫が好きだから抱かれた。死にたかったはずなのに…今は敏夫に抱かれて嬉しいんだ」 そう言った静信の笑顔を敏夫は本当に愛おしいと思った。 それでも闇は静信を選んだ。 いつかすべてを敏夫から奪い去ってしまうのだろう。 成す術もなく。 あっと言う間に。 「夕暮れが近い…もう、帰るな」 静信は頷いたが繋いだ手を離すのが惜しくて顔を上げられない。 「今度お前の寮に遊びに行ってもいいか?」 「いいけど汚いし何もないよ」 それでもいいと敏夫は笑った。 帰り道、敏夫はコートに手を突っ込んで考える。 静信の闇が自分も一緒に飲み込んでしまえばいいのに、と。 雲は更に厚さを増して雪をちらつかせている。 敏夫は図書館に向かって歩き出した。 医学書と静信の好きそうな小説を借りに。 |
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